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コロナ禍に思うこと。 [2022/04/16] [社会問題]

コロナ禍になって、インターネットのニュース記事などを見ていると、非常にコメントが
多くなっているように感じます。やはり、自由に動くことができないいわゆる「巣ごもり」
でインターネットを利用する機会が増えて、関心のあるニュースや動画などにコメントを
書き込むことが増えたのだと思われます。

これは、様々なことに関心を持つ人が増えていて自分の考えや意見を発言するという面で
良いことだと思う一方で、自分の名前を公表していないことをいいことに、過激な発言や
コメントの書込みに際して人の揚げ足をとるようなコメントが非常に多いことや誹謗中傷
が横行している状況にあります。公の場所でもあるインターネット上で溜まっている不満
などの「吐口」としている人が多いことは非常に残念なことです。匿名での投稿が可能と
いって、何をしてもいい訳ではありません。

たしかに私も、ニュース記事などに対して考えや意見、不満をこうしてBlogにその思いを
書いていますが、少なくとも自分自身に知識があり、理解していることに対しての内容に
しか触れていません。

私個人の認識ですが、嫌なことや見たくないこと、腹が立つこと、自分と意見が合わない
ことであれば、そのことについて見ないことが最もストレスのないことだと感じます。

何かの記事で見かけましたが、某検索サイトのコメント欄は「日本の恥」とまで言われる
ようになり、非常に荒れている現状から、運営側においてもコメントの規制をかけるよう
になっています。私もニュースはインターネットとテレビ、新聞のそれぞれでどのように
記事が扱われているのかが非常に気になるので見比べるようにしています。これは、新聞
の記事ではとても小さく扱われているのにネットやニュースでは、トップに上がっている
ことも少なくないのです。そのため、事柄の重大さをどう見ているのかを新聞、テレビ、
インターネットという「ものさし」に当てて見ているのです。

このため、インターネットのニュース記事を読む場合にはどうしても全文を読む場合には
イヤでも、コメント欄を目にしてしまうのです。本当に酷いの一言です。確かに真っ当な
意見をコメントとして書かれている素晴らしい方も多くおられます。私もコメントに賛同
する内容も数多くあります。

でも、そのコメントに対しての返信がどんどん荒れてくる傾向にあることは事実で残念で
なりません。

先にも書いたようにイヤなら見なければ良いのです。もし、本当に意見を言いたいのなら
他人の場所で意見を述べずに自身のSNSなどで意見を述べれば良いのです。そうすれば、
少なくとも匿名ではなくなるのでそこまで過激なことや人を誹謗中傷することはできない
ことでしょう。

当然、自身で行う場合はいくら匿名であっても、使用しているプロバイダやサービスから
IPアドレスやアカウントなど個人を特定できる情報は簡単に揃います。匿名ならバレない
だろうと言うのは非常に甘い考えです。しっかりとわかるのです。当然、内容によっては
名誉毀損などの刑事事件として警察にも告発できるものとなります。

このため、インターネット上で意見を発言することは必ず記録が残ること、そしてそれは
決して消すことができない情報(「デジタルタトゥー」と呼ばれています。)になること
を認識しておかなければなりません。
(コメントとして書き込んだ内容も当然のことながら、個人を特定できる情報は見えない
 だけでしっかりと記録として残っているので逃げることはできません。特定可能です。)

偉そうなことを書いていると言われるように思いますが、私は少なくともインターネット
を含めたいわゆる「情報」と言われる分野については死語になっているかもしれませんが
「ネチケット」を含めた「情報倫理」を正しく教えることができる知識は、持ち合わせて
いるから書いているのです。

今年、2022年度から高校では「情報」が授業として、必修化され、大学入学試験の科目に
含まれることになりました。しかしながら、高校で「情報」が授業に取り入れられたのは
もう20年近く前のことで教科として「情報」が存在し教員免許の科目としても「情報」は
存在しています。ただ、この時の「情報」とは工業高校などの専門学科ではプログラムや
ネットワーク、情報理論、もちろん情報倫理も授業として取り入れられました。一方で、
多くの普通科を中心とした高校ではワープロや表計算ソフトを触ったり、インターネット
やメールといった言い方が悪いですが、パソコン教室レベルのものだったのです。

その結果、必修化された2022年度の時点で「情報」の教員免許を持つ高校の教員が全国で
2,500人以上不足しているという深刻な状況となっているのです。これまでにも履修漏れ
が指摘されてきた教科であることも忘れてはなりません。

つまり、ほとんどのインターネット利用者が満足な「ネチケット」と呼ばれる「情報倫理」
を学ばない状況のまま、情報化社会となった現代社会においてインターネットを使用して
いることから、匿名であれば何を書いてもバレないだろうという安易な考えへと繋がって
いるわけです。企業などでもしっかりと「情報倫理」を研修として、行っているところは
少ないものだと感じます。

大体、この国の情報化推進、DX(デジタル・トランスフォーメーション)を進めるICT
(情報通信技術)の専門家で組織される政府機関のデジタル庁ですら、あってはならない
「情報倫理」における初歩的なミスを犯しているのですから、国民が「情報倫理」を理解
できていなくても仕方のないことだと感じてなりません。

ますます高度化する情報化社会に対応していくためには、もう一度、振り返って基礎中の
基礎であるインターネットを利用する上で最低限のマナーである「ネチケット」を含めた
「情報倫理」を学ぶ機会を持たなければ取り返しのつかないことになります。

小さな子供にスマートフォンを持たせるということは、親がしっかりと「ネチケット」を
教えることができなければしてはならないことだと考えます。これは、コロナ禍において
国が学校において進めてきたGIGA(Global and Innovation Gateway for All)スクール
構想によるタブレットを中心とした端末を1人に1台配布をしていることにも言えること
です。学校でしっかりと「情報倫理」、少なくとも「ネチケット」を教えられないのなら
端末を子供に「渡すな」です。

それがしっかりとできていれば、過度な使用制限や管理は不要に自然となっていき、自ず
と「情報倫理」も使っていく中で身についてくるものなのです。
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